(1) | 市民レベルでの友好関係
日本とアルゼンティンの外交関係は,1898年2月3日にワシントンで調印された「日亜修好通商航海条約」によって樹立され,100周年にあたる1998年には様々な記念事業が行われた。終戦後の混乱期にあった日本に対し,当時のエバ・ペロン財団がリオ・イグアス号に満載した物資を送って,援助の手を差し伸べたエピソードなど,両国が互いに地球の反対側に位置する遠く離れた国であるにもかかわらず,永い友好関係を培ってきた歴史がある。 文化的交流はアルゼンティン・タンゴに象徴され,例年,一流タンゴ楽団が訪日公演している。アルゼンティンでは日本画,生け花,茶道等を学ぶ人や武道(柔道,剣道,空手,合気道)の愛好者が多く,日本の伝統文化が広く受入れられている。 日本でサッカーが盛んになるにつれて,サッカーを通じた交流も活発になっている。日本からは毎年社会人チームやサッカー関係者が修業や交流のためアルゼンティンを訪れており,アルゼンティン人選手が日本のJリーグチームで活躍している。 アルゼンティン研究者の質は中南米では最高のレベルを維持していて,理論分野では極めて進んでいるといわれ,日本の研究者との学術交流も行われている。 |
(2) | 漁業面における友好協力関係
大来左武郎氏(元外務大臣)に率いられた(財)国際開発センターを主体とするチームが,1985年からアルゼンティン政府の要請を受け,JICAのODAベース技術協力の一環として経済開発調査を実施。1987年に提出したレポートは「大来レポート」と称され,アルゼンティンの産業活性化と輸出振興に重点を置き,経済社会開発に関する基本的助言を与えるものとして高く評価された。同レポートは、時のアルフォンシン政権の主要政策に採用され,1989年に発足したメネム政権でもカバーロ経済大臣が本レポートを多いに評価し,経済復興の基本方針として活用した。特に重要な優先課題は、公共事業の適切管理に係る勧告と提案であった。提言はセクター別に構成され,漁業分野では、1)漁業産業の競争力向上、2)資源量に調和した漁業活動の実質管理、3)制度金融の充実および漁船・機器に関する輸入規制の緩和、4)漁港関連の施設の改良、5)未利用・低利用資源の活用、6)輸出製品の開発であった。 1990年代初めメネム大統領およびカバーロ経済大臣が、「大来レポート」の提言を大きく取り入れて経済改革に取り組んだ結果、一人当たりのGDPが、1990年の2780ドルから1997年には9210ドルへと急成長を遂げるなど、経済の安定とその後の発展が約束されるにいたった。漁獲量も54.5万トン(1990年)から134万トン(1997年)に増加し、輸出振興政策のもと、日本ヘの魚介類の輸出は大幅に増加した。 漁業面における我が国との友好協力関係は,アルゼンティン漁場への日本イカ釣り漁船の参入状況(参考資料-2)と,日本の大型底曳き漁船5隻が現在この漁場で操業を続けていることが示すように,日・アルゼンティン二国間漁業協定が未締結という不安定要素はあるが,現在のところ概ね良好である。 |